2016年3月 6日 (日)

この子は幸せなのだろうか

もう、里子ではなくなっているウチの子ですが、いつからか、

「○○ちゃんは、恵まれていますね」

とか、

「幸せですね」

とか言われるようになって、私は、その度に、

「この子にだって、この子なりの苦労があるのに、そんなに簡単に幸せだの何だの言わないで欲しい!」

と、思ってきました。

でもね。この頃、思うんです。

あれやこれややることになっちゃって、やっちゃってる習い事も、運動神経が良い分、それなりの結果にもつながってる。

居心地の良い学童保育で、連日夕方遅くまで外遊びができていること。

私が、塾用のお弁当を作れないからと、塾には通わず、勉強を教えてやれること。

そして、マンガやおもちゃ、果ては以前は嫌いだったぬいぐるみにまで囲まれて「せまいながらも楽しい我が家」に暮らしていること。

そういうのは、やっぱり、幸せなのかもしれないな、って。

最近は、寝る前の本の読み聞かせのかわりに、アマゾンビデオで、まんが日本昔話を聴かせていたら、どれも全部聴いちゃって、次がなくなってしまいました。

もちろん、猛烈な親子喧嘩もします。

体調が悪くて、子どもの要求に応えてあげられないことも、たくさんあります。

でも、この子なりに、今の暮らしは充実して、楽しいのかな、って思うんです。

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2014年10月26日 (日)

前の姓

ウチの真実告知は、最初から本人が状況をわかっているのでカンタンだと思っていたのですけどね。

だもので、ほとんど忘れていたのですけどね。

先日、私の帰りの遅い日がありまして、その間に子どもが夫に

「ねぇ、ぺこさん家に来て『ぺこ』って名前になったのは、わかるけど、その前は、何だったの?」

と訊いてきたらしいです。

で、夫は、その場では即答せず、後日、私に、そのことを教えてくれて、

「んじゃ、話そうか」

と私が決めて、改めて伝えることにしたのですけどね。

子どもに、

「この前、おとうさんに、前の名前が聞きたいって話したんでしょ?」

「それはね、、、」

といって、家庭裁判所がらみの書類一式が入った封筒を持ってきまして、、、

「えーっと、これが、審判決定証明書」

子ども、いきなりの書類にびっくり仰天。

しかも、裁判所で扱うことが全部『事件』なので、あなたのことも『事件』として取り扱われてる、とか!

申立人の名前を読み上げて、ここに私たちの名前があることや、『事件本人』が子どもの名前なんだけれど、ここには、、、

もとの姓の氏名が書かれているので、

「というわけで、このおうちに来るまで、〇〇先生のところ(施設)では、とりあえずこの名前で呼ばれていたのですよ」

と、話してやりました。

子ども、照れくさそうにしていました。

「そっちの方がいいから、そっちに戻したいなー」

とも言うので、

「残念でした。もう変えられません。特別養子縁組は、一度やったら、元に戻せないのでーす」

「どうしても、その名前がよかったら、それと同じ苗字の女の子と結婚して、その子の名前を名乗っていいですか?って言って、使わせてもらうしかないのよー」

と話したら、更に照れくさそうにしていました。

こんなときのために、本当は、家裁の書類ではなく、母子手帳で話すつもりで「心の準備」をしていたのですが、あいにく、病院に連れて行ってもらった私の母に預けっぱなしで手元になかったので、仰々しい書類になってしまいました。

戸籍謄本も古いのとか、新しいのとか、いろいろありましたが、この日は、新しい(現在の)ものだけを出しました。

こうしてみると、真実告知って、単に血縁がないことを伝えるだけではないのですよね。

今後も、その都度訊いてきたら、で、いこうと思っています。

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2014年10月 8日 (水)

寂しくて、寂しくて

学期末で、殆ど我が子の顔を見られないような日が続いていました。

先日は、うっかり私の母に自宅の鍵を預けたまま遅く帰宅して家に入れず、しばし母と喋り込んで帰宅すると、なんと子どもが起きて待っていました。

そして、数日前から、これまで滅多に風邪もひかなかった子どもが、風邪をひき。

お医者さんに薬をもらって熱が出なくなると、今度は、足が痛いと大泣きし・・・。

そうなんです。寂しかったのです。

ずっと、ずっと、おばあちゃんの家で、私を待つ日が続いて。心細かったのでしょう。

うちの子は、どれだけおばあちゃんが傍にいても、所詮おばあちゃんは、おばあちゃんで、おかあさんの代わりには、なりません。

「まだかなぁ~」

「何時になったら、帰ってくるのかなぁ~」

ずっと、ずっと、待つ日が続いて、疲れたのでしょうね。

このところ、寝る前の本の読み聞かせも、ねだられるようになりました。

耳かきだって、延々やれ、と言います。

外食は嫌なので、おうちで、おかあさんが用意したごはんを食べたいと言います。

まだまだ、親を必要とする年齢なので、通信簿を渡し終えたら、なるべく早く帰るようにしたいと思います。

そして、こうしてみると、里親になるときに、暗に仕事を辞めないと子どもは委託できないと言われたことが納得いくのですけどね。

だけど我が家の場合には、それで私が病気になり、入院もして、子どもに更に寂しい思いをさせてしまったので、本当にあのときの決断が良かったのか否かは、わからないのです。

普段なら、プロレスだって何だって私より強い筈の子どもが、今日は、赤ん坊のようにビービー泣いていました。

「ずーーーっと、明日までさすっててあげるからね」

まだまだ、一人で寝ていた小さなベッドのことを思い出すのでしょう。

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2014年8月19日 (火)

似てない親子

先月学童保育のキャンプに行っている間、私がよく感じたのは

「やっぱり血の繋がってる親子は似てるなぁ・・・」

そして

「きょうだいも、よく似てるなぁ・・・」

でした。

一緒に参加している母や父も(ウチの学童では誰かのお母さんを『〇〇母』お父さんを『〇〇父』と呼びます)ちょっとしたおしゃべりタイムになると、あの親子はやっぱり似てるとか、きょうだいそっくりだというハナシになります。

「で、ぺこさん家は、あの子のキャラはどっち似なの???」

普通に訊いてくれるんですけどね。実は、子どものお世話になっている場所で、ここだけ(正確には学校も親御さんには表だって言ってはいないのだけれど)はまだ私たち夫婦と子どもに血縁のないことを知らせておりませんでした。

「あのキャラは、、、どっちでもないですねー」

「どこに行ってもすぐ遊び仲間を作っちゃう、あれはどちらも持ってないですねー」

なんて答えながら、指導員の先生にも伝えていないのに先によその親に話すのも何かなと思うし、、、そうだ、そのうち話せそうなタイミングがあったら話しちゃおう♪

と、思っていたのですが、50人近い子どもがいる学童では、次から次へいろんなことが起こりまして、それに細かく丁寧に対応してくれている2人の指導員さんなので、捕まえて話をしている暇などありませんで。

結局今も打ち明けられないままでおります。

よそ親子のキャラがいくらちぐはぐ(例えばお父さんものすごくしっかりしてるのに、子どもはズッコケ等)だとしても、一緒に並べば姿は似てるものです。

なのに、ウチだけ、ちょいと違う。どこが似てるのか、よくわかんない。(笑)

ま、そのうち機会があったら話すことに致しましょう。

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2014年8月18日 (月)

薬のその後

子どもに薬を飲ませるようになって、かれこれ3ヶ月になりますでしょうか。

薬の詳しい事は書かずにきましたが、そのおかげでこんな喧嘩 もなくなりました。

本人は、薬を飲んでいるといろいろなことがやりやすくなると言います。

私が怒る頻度も全然違うと言います。

そして私の方も、叱って衝突する頻度が減った分ラクになりました。

子どもを迎えてすぐにお昼寝の時間の愚図りがひどくて幼稚園に通うのがものすごく負担だったときに、お医者さんが

「じゃぁ、保育園にしましょう。そうしたらお昼寝の負担からは開放される」

と判断してくれました。

そして、その後のエネルギー有り余ってこちらがヘトヘトな件については、私の主治医が

「ちゃんと診断受けて、薬飲んでるの?」

と言ってくれて、それが受診のきっかけになりました。(私の主治医の先生は、クリニックでは大人しか診ていませんが、大学では子どもを診ています)

私は、子どもの専門家ももちろん大切なのですが、育児に悩む大人、特にお母さんがかかりつけのお医者さんを持っていた方が良いのではないかと思っています。

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2014年3月13日 (木)

「明日、ママがいない」考 4

問題作も、最終回を終えました。

最後は、結局

「私でいいの?」

「あなたに、いて欲しい」

「あなたがいないと、寂しい」

「あなたでなければ、意味がない」

という、それは、まるで恋人を求め合うような言葉が次々に。

そう。家族には、命には、「代わり」がないから。

私という存在、あなたという存在。それぞれが認め、求め合って、家族になる。

一度「施設」というところに措置されて、それぞれの「新しい生活」へと踏み出す。

終ってみれば、そんな「仕切り直し」のある親子の姿を描きたかっただけかもしれません。

「その子は、あなたの産んだ子ではありませんが、それでもいいですか」

と。

ドラマの最後は、施設長が、その子らしくない姿で新しい家になど行って欲しくない、と言う訳ですが、実は、我が家の子も、入所していた施設の関係者の方にそれはそれはかわいがられて、

「できるなら、我が家に迎えたい・・・」

と、本気で検討されたものの、要件が合わず断念された、というお話を聞きました。

後に、

「本当は、ウチの子にしたかったんですけどね(笑)」

と笑顔で言われて、この子はどれだけ愛されてきたのだろう、と思ったものですが。

まさか、ドラマの最後が、そんな我が家の子と似たようなことになってしまうとは。

私が、この問題作をじっと見続けられたのは、かつて母親に家を出て行かれた私と、産んだ親に育ててもらえなかった我が子が、今、こうして泣き笑いしながらも賑やかに暮らしていて、世の中捨てたものじゃない、と思っているからだと思います。

誰が見捨てても、私は見捨てない。

私こそが拾われたから。

「自分は拾われた」

もしも、私にプライドがあるとすれば、その感覚なのかもしれません。

いるかいないかわからない神様に、世の中に、出会った人々に、確かに拾われた、と。

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2014年3月 5日 (水)

「明日、ママがいない」考 3

問題のドラマも回を重ね、次第にわけがわからなくなり(誰が善人なんだか悪人なんだか)、一人また一人、子どもが新しい家族や新たな生活に導かれ、今日は、遂に「魔王」なる施設長と「アイス・ドール」なる児相の担当者と、「ロッカー」とあだ名される元コインロッカーに置き去りにされた青年とが揃って土下座するところまでいってしまいました。

「事実(その子を産んだ)の親と、真実(その子を慈しみ育てようとする)の親は違う」

と、今頃になって皆が泣くような台詞が出てきました。

「ほ~ら。だから、最初から悪意なくそれを訴えていたら、誰も騒がないのに・・・」

こういうのに慣れっこの私は、そう思うんですけどね。

でも、ここまで時間をかけて、一見悪そうに思う人の姿を描かなかったら、その裏にある真の姿が描けなかったのだと思います。

番組が始まって間もなく、爆笑問題の太田さんが、「描き方が昔っからの孤児モノと変わらない。下手!」と批評されていましたが、やはり、まだまだこの日本においては、家庭を求める子どもへの認知度が低く、こうした描き方しかできないのだと思っています。

それにしても、三上博史さん演じる「魔王」の一所懸命なことよ。

『子どもの心の中に、例えそれが実の親であれ、里親であれ、養親であれ、教師であれ、自分を確かに愛してくれていたと思える存在がいれば、その子は生きて行ける』

私も、似たような思いで教師になったけれど、それでもやはり時間が過ぎれば「さようなら」の教師と、互いを選ぶことのできない「親」とは違う気がしたものだから、子育てを諦められなくて、血縁にこだわらずに子どもを育てる身になったけれど。

今日は、いつになく出演者がワーワーなく場面があって。

一緒に泣いていたら、何か私の中でモヤモヤしていたものがなくなってすっきりしたのは、どうしてだろう。

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2014年1月27日 (月)

「明日、ママがいない」考 2

さてさて。視聴率13%も取っていながら、賛否両論でスポンサー企業にもクレームが相次ぎ、ドラマの内容云々ではなく番組枠を年間等で契約している企業がやむなくCMを自粛。今度の第3話からは全CMが公共広告機構のものになるという異様な事態になりました。

私に言わせれば、そんな抗議の電話の多少で番組スポンサーそのものを降りた某マヨネーズ会社の製品なんか、いくらベルマークがあっても買ってあげないけどな・・・。

で、以下は、そのスポンサー企業の大騒ぎを取りあげたニュースからの引用です。

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 ここまで企業が対応に追われた理由のひとつは、ネットによる過熱報道だ。上智大教授の碓井広義氏(メディア論)はこう言う。

「『赤ちゃんポスト』だって、素晴らしいものみたいに映っていますが、もともとあのシステムだって賛否両論があった。正直、今回の騒動は過剰だなと思います。ドラマはあくまでフィクション。視聴者はもっと冷静に見ていると思います。

過剰反応するのは、視聴者のリテラシー能力を信じていないということ。しかも、過熱しているのはほとんどがネット世論で、中にはドラマを見ないまま流れに乗っかって批判している人もいる。そういうのが一番良くない。だから、日テレには打ち切りと騒がれてもきちんと最終回まで放送していただいて、視聴者もそれから判断してほしい」

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ドラマの中で「赤ちゃんポスト」に託された女の子が、その名も「ポスト」というあだ名で登場する。

貧困家庭だった子どもは「ボンビ」。おかあさんがパチンコ依存で育児放棄のネグレクトにあっていた子は「パチ」。

そりゃね、最初は、私だって驚いたよ。

でもね。

もしも、「ポスト」に、その辺の子にあるような名前があったら、どうする?

仮名なんかじゃなくて、ありえない名前だから、私は救われた気がしてる。

コガモの家だって、ありえない設定だから。

それが、実際にありそうな名前や設定だったら、どうなんだろう。

ずっと誤解を産むし、たまたま名前が同じというだけで、それこそいじめられそうだし傷つきそうだ。

私は、あのドラマを最後まで見る勇気が、ある意味「真実告知」やいろいろな背景を背負った子どもと共に生きる覚悟のような気がしてならない。

17歳の「お局」が、

「あと1年でどの家庭にもめぐりあえなかったら、こんな子どもの私さえ社会に放り出される、この日本はどうなっているの?」

と訴える。

実際には、18歳どころか、児童養護施設にいる子でも高校に在学していなかったら(中退したら)そこで社会に放り出される。

みんなしてテレビ局やスポンサーに抗議する前に、首相や国会議員に訴えるべきなのではないのか。

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2014年1月22日 (水)

「明日、ママがいない」考

先週から始まった問題作。

家庭の事情で親元から離れて暮らす子どもと、里親、施設、周囲の目などがかなりのインパクトで描かれています。

第1回放送直後から抗議殺到らしいですが、私には、ちょっと異論があります。

「綺麗事ばっかりの人に、何がわかる、、、」

と。

私は、やんちゃな我が子が、もう本当に腕白なものだからクタクタで、どれだけエネルギーがあっても足りなくて、現実に病気にもなっているけれど、剣道の試合などでバンバン勝つ姿を見ると、なんとも痛快な気分になります。

それと似た感覚が、あのドラマにはあるのです。

みんながみんな、強くなんかなれないけれど、それでも明るく、たくましく生きる子どもの姿があると私は思うのです。

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2013年12月15日 (日)

大喧嘩

児童相談所の方は、ブログでやたらなことを書くでない。子どもの人権侵害にあたる、などと仰るのですが、本日ばかりは正直なところを書かせていただきましょう。

発端は、子どものクリスマスプレゼントおねだり&夜眠くなっての愚図りでありました。

我が子は、うちに来た当初から、なぜか眠くなると理屈も何も通じなくなって、訳のわからない聞かん坊になり、仕舞いには暴れて、まるで人格が変わったようになります。

それが次第に眠たいときの「愚図り」だとわかるようになって、一騒動の後、天使のように寝入って

「やれやれ。ようやく寝たか・・・。眠たくて愚図ってたのね・・・」

と、笑うことが毎日のことになっていて、そうして何年も過ごした筈だったのですが・・・。

先日は、ちょっと違いました。

このところ、子どもは、何かにつけて

「おかあさんは、〇〇ちゃんのことが嫌いなんでしょ」

と言います。

テレビゲームを買ってくれないのも、クリスマスのケーキがないのも、ポケモンのおもちゃがないのも、みんな自分のことが嫌いだからだ、と。

おいおい。何言ってるんだ。テレビゲーム買ってアタマやカラダが良く育つならおかあさんはいくらでも買うけれど、どう考えても外遊びのためのボールや将棋の方がアタマやカラダに良いように思えて仕方ない。だから、おかあさんは、テレビゲームは買わないんだ。

クリスマスのケーキは、別にケーキ買ったっていいけど、うちは、その後すぐにおとうさんの誕生日が来るから、クリスマスにはケーキではないものでお祝いするんだし、そもそもクリスマスはケーキを食べるための日ではない。本当のクリスマスのお祝いは、教会に行ってみんなでお祈りをしたり歌を歌ったりしてイエス様のお誕生日を皆で喜んで、その後に家族や親しい人たちと「クリスマスおめでとう」とご飯を食べたりすることなんだ。

等など、いろいろ説明しますが、収まりません。

仕舞いには、明日クリスマスのプレゼントを買ってくれ。クリスマスまでなんて、あと10日も待てないと言って騒ぎ出し、それを聞き入れないのは、おかあさんが自分が嫌いだからだと言い出し、私の方がキレました。(この間、私の小指が子どもに蹴られて突き指するハプニングあり)

あなたね。おかあさんは自分のことが嫌いだ嫌いだって言うけど、じゃぁ、一体何をしろって言うのよ。

そうやって言う〇〇ちゃんの方が、おかあさんのことが嫌いなんでしょ!!

おかあさんは、あなたが好きだから、一緒にごはんを食べたり、本も読んであげるし、勉強も教えるし、習いごとにも連れて行くし、トランプやUNOで遊んだり、一緒にお風呂に入ったり、一緒の布団で寝たりもしてる。おかあさんが嫌いでいなくてもいいと言うのなら、もう、本を読むのも、勉強するのも、一緒にごはんを食べるのもやめようか。

おかあさん、一生懸命あなたを育てて、病気になって2回も入院する位頑張ってきたのに。これ以上何をしろって言うのよ。

お医者さんに、あんまり頑張り過ぎるとよくないから、本を読んであげるのも、今日は何ページまでね、って決めて読まないと、いくら読んでも「もっと!もっと!」ってきりなくなって具合悪くなるから、ちゃんと読むところを決めなさいって言われてるのに、それでもあなたが「どうしても読んで!」って言うから、1冊だけ読んであげることにしてるのに。

そして、子どもは、

「じゃぁ、どうして自分をこの家に連れてきたのよ」

とも言います。

この問いにだって、さんざん答えてきましたが、もう、堪忍袋の緒が切れました。

おとうさんとおかあさんは、ずっと子育てがしたかったの。長い間二人きりで、おじいちゃんも死んじゃって、二人っきりになっちゃって、子どもがいて賑やかに過ごせたら、多少の苦労はあってもどんなに楽しいかと思って、それで〇〇さん(児童相談所のワーカーさん)の所に相談に行ったら、あなたのことを紹介されたの。

とっても元気で良い子だから、よかったら会ってみませんか、って言われて、会ってみたら本当に元気な良い子で、おかあさんやおとうさんや、このおうちのことが気に入ってくれたから、じゃぁ、一緒にここで暮らして、この家の子になりましょうってことになったの。

すると、子どもは、

「でも、〇〇ちゃん、良い子じゃないもん」

と言います。

あのね。良い子っていうのはね、良いことしかしない子、っていうことじゃなくて、身体が丈夫だとか、物事の考え方がまっすぐだとか、そういうことを言うの。

あなた、身体が丈夫で、剣道だってドッジボールだって、リレーだって、やれば何でも一番になっちゃって、お勉強だっておかあさんが教えたら教えた分できちゃって、それで何が不満なのよ。

いくらがんばったって勝てない子や、なかなかできるようにならない子なんていっぱいいるのに。

もう、そうやって文句ばっかり言ってるなら、こんな家になんか来なけりゃ良かったって言うのなら、赤ちゃんのおうち(乳児院)に戻ろうか。

院長先生に事情を話して、もうおうちは嫌になったので、戻りたいです、ってことにしようか。

でも、裁判所の人にあなたはぺこさん家の子どもです、って戸籍っていうのに書いてもらっちゃったから、もう戻せないないんだけど、それでもどうしても嫌ならしょうがないかから。赤ちゃんのおうちに戻るか。

どうする?

もう、一気にまくしたてた私に子どもは参ったらしく、一言

「おかあさん決めてよ」

と言いました。

知らないよ。自分で決めな。おかあさんが決めると、後で「おかあさんが勝手に決めた」って言うんだもん。

「でも、おかあさん、決めて!」

よし。

じゃぁ、いいかい。

あなたは、この家で暮らすこと。

もう、いちいち「おかあさんは、自分のことが嫌いなんでしょう」と言わないこと。

そして、習いごとや勉強を勝手にさぼったりしないこと。

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よく、人さまには、こんなやりとりを小学生になったばかりの子どもとしているなんて!!と驚かれることがあります。

でも、私達には、こうして本当にお互いが一緒にいていい存在なのか、確認し合うことがどうしても必要なのです。

途方もないエネルギーが必要です。思春期の子どもが暴れているような騒ぎです。

そして、残念ながら、この苦労に対しての支えは、私が思うに児童相談所(行政)からも、里親の会(自助)等からもありません。

特に、昨今は、晩婚化の影響もあり特別養子縁組などで子どもを迎える事例をマスコミなどで見かけるようになりましたが、そこにしばしば登場する

「この子を産んでくださった実母さんには、ただ感謝の気持ちでいっぱいです」

といった台詞には、正直、私は全面的な共感ができずにいます。

この子が、今こうして私たちと自分のあり方を確かめ合おうとしているのと同時に、この子を産んでくれた方は、今は自分の手元にいない手放した我が子のことを、心の奥にしまいつつ今日も別な毎日を生きているんだろうな、と。

子どもは、天使???

いえいえ。人間ですもの。ときに悪魔。ガキ、であります。

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